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十畳合気道場 総論
道と術と技と型

 合気道と道を謳うからには、合気の術をもって、何を成すのか考えなければいけません。不当な力に屈せず、己の道を切り開き、矛盾を解き放し、永続的な和の世界を導き出す原動力になると考えています。

 [道 ⊃ 広義の術 ⊃ 技 ⊃ 狭義の術、型、感覚、体力]

 広義の術とは、剣術、柔術、合気柔術、合気の術、斗争の術といった使い方を指します。道場内の練習で術といえば、狭義の術(以下、術)のことです。

 一口に技と言っても、無数にあるように思われます。枝葉末節に囚われていては、本質を身に付けることは難しいでしょう。しかし、重箱の隅をつつくようなことが、術の再発見に繋がることも事実です。

 技の要素に、あえて体力を加えています。力を込めるためではなく、常に動き、姿勢をつくるための体力です。また、人は、病に侵され、やがて動けなくなります。年齢に相応した健康を維持することが理想ですが、人それぞれに何かしら体に支障を抱えています。技は、体力によっても変わります。

 感覚は不確かなものと思われがちですが、歳を取れば体力のほうが当てにならないことが理解できるでしょう。優秀な監督は、体力的に選手と同じことができなくなっていても、感覚から発せられた指導力が、選手の心体を動かすものです。身近なところでは、一旦、自転車に乗れるようになれば、生涯その感覚が消えることがないことを思い起こして下さい。感覚は、磨き続けることができます。

 術は、コツと割り切っても構わないのですが、本質に繋がる一部を表現したものと考えて下さい。したがって、何だ同じことを、違う風に言っているだけじゃないかということもあります。本質は、幾つかの単純な法則に行き着きます。しかし、それらの法則に気づいていても、技に反映されていないことが多いのです。未熟な術を用いて感覚で本質を探り、触れた本質から可能性を秘めた術を創り出し、この繰り返しにより、本質の輪郭や核が見えてきます。

 型は借り物に過ぎず、術の受け皿で、術を最大限に引き出すためのものと考えています。完璧な型などなく、術無き型は、意味を成しません。型と術の両輪で、技を習得していく必要があります。

 つまり、技は術と型と感覚と体力から成り立ち、技を習練するということは、本質に触れようとする行為ということなのです。本質には、秘力があると感じられます。合気道を用いるということは、知り得た本質を活かすことに他なりません。

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