ガレコレ [Garage Collection]
逆転の発想
『常識』が通用しないのではなく、常識に対する自分たちの『認識』が間違っていると認める、まずここから始めてみましょう。言葉遊びになってしまいましたが、全く逆なことが正しいのではないかと考えてみようということです。まあ、泥棒が正しいのか、大麻はいいのかは、各論に任せることにします。
目の前に敵がいるとして、呼吸を数えてみて下さい。ほとんどの人が、表で吸い、裏で吐くでしょう。ラジオ体操の深呼吸のような回復系は、これでよいのです。ああ逆かと、言われてみれば納得できる人も、その場ではできますが、時間を置くと元に戻ってしまいます。『コロンブスの卵』は、逆転に気がついただけでは、駄目なのです。
『研究者の目』で観て下さい。手刀のつくりと解放を感じ取り、切り取った術の内でできるようになっても、技で使ってみると、全く逆なことをしています。『技の節目』で手刀をつくり、攻めるところでもほとんど手刀をつくっています。どこに手刀の解放という妙があったのでしょうか。力を一瞬緩めたに近く、出て行くための反動をつくったに過ぎません。技の節目と考えられるところでは、手刀の解放となります。攻めるところでは、手刀の解放で進み、手刀をつくり、再び解放して進みます。
『四方投げ』を例に挙げます。手刀のつくりから解放により相手と接して『山越え』、手刀をつくり『仮想剣の弱点』に働きかけ、相手を崩します。崩れたところを、解放により後方45度に流し、技の節目を迎えます。90度捌く前半に手刀をつくり相手を崩し、後半に解放して、技の節目を迎えます。『攻め半身』に向かう間に、手刀をつくり相手を攻め、解放して相手を浮かせ、技の節目を迎えます。解放のまま『転体』して相手を浮かし、手刀をつくり相手を倒し始めます。相手の足裏が剥がれるときに手刀を解放して反し、『大渦』に落とします。倒した後も、解放により曲がるように曲げ、手刀をつくり相手を固めます。文章にすると、どうしても複雑怪奇になってしまいますが、『起筆→送筆→終筆』を繰り返して、続け字を画いているのです。
楽にやれば、それだけで正しくできると、合気道は教えてくれます。ところが、良かれと思って余計なことを考えると、得てして逆のことをやってしまい、一見良さそうな変なものになります。グローバル化など、世の中の矛盾も、そのようにして生まれるのでしょう。
by Network Communication Note