拘りの十条
拘りの確信を、何度も見直しました。すべて、他の章に記載されていることですが、何に拘っているかを知って頂きたく、集約しました。その多くは、『本質の探究』『流しの伝承』に通ずるのですが、細部の拘りも同格として列挙しました。
1.自発的な心を、何より尊います。
2.浅墓な常識によって封じられている見方、考え方、能力など、本質の探究を行います。
3.相手の感覚を感じることを原点とします。
4.型に気を付け足すのではなく、気だけで戦うのでもなく、気に型を合わせます。
5.流しを伝承し、間合いを制御する術を身に付けます。
6.心臓と薬指を重視します。
7.手刀のつくりと解放、手刀の反しを重視します。
8.濡れた半紙を破らずを極意として、摺り足を研究します。
9.具現的武器として、手刀/入身/転体を習練します。
10.空間的武器として、帯/扇/輪/玉/三角/ひし形/波/渦/人/影/剣/軸をイメージします。(空間を操ることは、すべての武術に通じます。)
拘りなのかと改めて考えたとき、下記はそういう部類ではないと判断しました。
【流派】
根底となる流派はありますが、拘るところではありません。
【合気道は手刀の武道】
実感です。
【合気道は人殺しの法】
事実です。
【守破離】
拘らなくとも、染み込んでいるようです。
【技は、合気の理を身に付けるために行う】
拘りにまでは、昇格していません。
【色をかえる】【物事を両輪で進める】
好んで用いている手法です。
【奥義を修得することに、時間を使いなさい】
故先生の言葉で、道場的願望です。
【さっきの自分と今の自分の差を感じ取れる習練】
試行錯誤中です。
【極道楽】【我、伝道師でありたい】
個人的願望です。
【来る者は拒まず、去る者は追わず】
拘るところではないのですが、信念です。
【何に拘るのか】
拘れば拘るほど、重箱の隅を突いているようで、現実から遠ざかっていると感じることが多いのではないでしょうか。それは、そもそも拘る点にずれがあるからなのでしょう。
「自分の心臓と相手の心臓を手刀を介して繋げる」ことを重視して練習しています。これも、偽りの拘りを捨てれば、手刀である必要も無く、心臓である必要もありません。繋がっていると実感できることが本質なのでしょう。
さて、繋げてからどうします。この感覚に気づいた者は、型に拘らず、型を活かそうと、自発的にあれこれやっています。繋げてからどうすべきか、光が見えているようです。
当道場で、技術的に最も拘っているのは『流し』です。この拘りには確信があり、二十年以上やってきて、やっと極みが見えてきたと、勝手に嬉しがったりしています。流しには、合気道に必要な技術要素が十分に詰まっています。自分は、これを伝えていきます。
『本質の探究』自身を拘りの1つに挙げていますが、本質に繋がる拘りを見出すことが、良き師を見つけることと同格だと思います。
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