なはり浦の会
奈半利の歴史
奈半利は古くから野根山(のねやま)街道の起点として、また紀貫之の「土佐日記」に那波の泊として登場するように陸・海の交通の重要地点でした。
奈良時代にはコゴロク寺(廃寺)を中心に郷が栄え、埋蔵物が多数出土しています。
山内一豊が土佐入国の際にも、野根山街道を経て奈半利の正覚寺で宿泊し、江戸時代には野根山街道は土佐藩主の参勤交代に利用されます。
また上流の魚梁瀬(やなせ)の木材を奈半利川から搬出し、集散地となっていました。
大正12年、人工造林保護区に指定されたスギの植裁地
奈半利貯木場と魚梁瀬森林鉄道奈半利川線が完成すると、樟脳・木材などの林産物や、捕鯨・製糸業などの産業が起こり、更なる発展をとげます。
特に明治以降に実業家を多数輩出し、高知県の近代化にも貢献しました。
今ある奈半利町の伝統的建造物の多くは、この時期に建てられたものです。
奈半利から東洋町、野根までの35キロ余りの自然遊歩道です。
半世紀にわたり使用された森林鉄道で、平成20年度分として室戸岬灯台とともに『近代化産業遺産』に認定されました。
また、2009年、旧魚棚瀬森林鉄道施設が国の重要文化財に指定されました。
西谷口橋上を走る森林組合のガソリン車(S29)
平安時代、土佐国司であった紀貫之が、京に戻るまでの旅を女性の仮名文に託して書いた日本で最初の日記です。
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