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森家住宅の特徴

 森家住宅(旧野村茂久馬邸)は、野村茂久馬自身が設計した家として知られています。

 東、南、西の周囲を浜石の練り積みの石塀で囲まれた大きな邸宅で、主屋は総二階になっています。二階座敷は南から北に、八畳、十ニ畳、八畳、十畳と四室並び、間の襖を取り除けば三十八畳の大広間になります。建築当初はその外側を三尺の畳廊下がぐるりと取り囲んでいて、「広大無辺の大広間。内緒話もできなければ、隠れる部屋もない。」と茂久馬はいっています。

 昭和21年に四国銀行田野支店奈半利出張所が開設され、その後、料亭が営まれていた時期がありました。
 

森家住宅の東側にあるレンガアーチ門と石塀

漆喰の天窓

 一階の台所には、明かりをとりいれ、煙を排出させるための四角い天窓があります。

 現在は開閉できませんが、天井から煙突状にのびた漆喰の壁は一日中、天窓から差し込む柔らかい光を受けて、白く輝いています。
 

数奇屋造の厠

 一階にある厠の手洗い場の床には、丸竹がすのこ状に並べられています。

 その周りには手すりがつき、数奇屋(茶室ふうの建物)風の意匠が凝らされています。
 

硝子入りの障子と引き戸

 玄関裏の六畳座敷にある硝子入りの明り障子です。

 額縁状の磨硝子に、野村家の家紋(九曜紋)が入っています。
 

 二階の厠には、磨硝子と赤硝子の格子窓が付く引き戸が付いています。

 深みのある赤い色は、銅を使って発色させた銅赤硝子(大正初期の物)です。
 


西側の下見板張りの壁につく洋風の上げ下げ窓

「わしは、土佐の野村でええ......。」 
 野村茂久馬は、大正8年に資本金1万円で野村組自動車部を興します。いまの高知県交通や高知通運の前身ともなった旅客、貨物の運送事業でいた。フォード車の黒のボディーに「の」のマークをつけ走らせました。

翌年、アメリカの自動車王から日本での代理店をやって欲しいと指名されましたが、「わしは、土佐の野村でええ...。」と断っています。 高知尋常中学校の同窓生であった浜口雄幸が「東京へ乗り出さんか。」 と誘った時も首を縦に振らなかったといいます。

 『日本の野村』への夢がなかったのではなく、土佐への想いがそれだけ深かったのでしょう。

後年、野村はこんな言葉を残しています。「おらばあ、忍んだ者は他にあるかや。よく忍んで戦ってきた。」と。
 

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