2025年4月30日(水)
自転車生活 #※トドロ 自転車デビューから5回目の奈半利町市街地。昼飯は、奈半利駅物産館でお弁当🍱
実は、1月の薬害で右膝が全く動かなくなっていた時、血糖値が戻ってしまい、『白内障』も急激に進んでしまいました。その後、ヘモグロビンA1cも血糖値も下降して、何とか生きています。
運転免許証の更新の際に、視力検査がギリギリ通るかなと思っていましたが、当日に安芸署でドタバタもあり、午後は眼が疲れてしまい視力が出ませんでした。
ジタバタしても仕方がないと腹を決めて、一旦運転免許証を失効させて、白内障を治してから復活させることにしました。事故っても、つまらないですし。
太腿が痩せてしまったので、自転車はしんどいのですが、5回目にて少し慣れてきました。
帰りの上り坂(延長800m×標高差80m)を自転車を押して歩くのですが、まさに修業です。
GW明けて交通渋滞が無くなってから、安芸市にまで足を伸ばします。安芸病院の通院にも、自転車で行きたいですね。
今は、糖尿病治療と同時にリハビリするしかないので、自転車生活はウッテツケということです🚲
P.S. 自転車は、元々大好きです。
小学生6年生までは、親父と妹と自分の3人で、よくサイクリングしました。子煩悩な親父でした。自転車と水泳と鉄棒が好きなのは、親父のおかげです。<1代目 子供用>
中学時代は、バスケ部の連中が主でしたけど、隣の高岡市へ、プラモデル(フランケン)やマイコン(無線パーツ、Apple?01ショップ?)や海水浴や二上山を目的に、猛スピードでしたね。<2代目 24インチ軽快車>
高校時代は、通学に片道17km、庄川土手をサザンを歌いながらでした。ダンプトラックの左折に2回巻き込まれ、最初のは自転車を捨てて後ろにジャンプして着地満点で自転車はダンプの下をすり抜けて無事、2回目は無様に転びましたが怪我もなく自転車も無事でした。<3代目 27インチサイクリング車>
大学時代も、2年間は高校時代から使っていた自転車で憲ちゃんとつるんでました。ブルーバードを買った後もこの自転車を使ってましたが、多分3年生の時だったか駅の駐輪場で盗まれてしまいました。富山県から静岡県にわざわざ運んだ自転車だけに諦めきれず、何度もその駅に行きましたが、見当たりませんでした。
社会人になってからは、つくば市で寮にいた時代、あと何日かで清水市に引越しという時に、バスターミナルの駐輪場で盗まれました。<4代目 ママチャリ>
清水市では、電柱にぶつかって大破。朝5時に「生きてますか?」と通行人に起こされましたが、ハンドルの先で打ったらしく右肋骨下が腫れており、二日酔い状態で大学研究室同級生の結婚式に蒲郡市へ行きましたね。アーケード街の片隅で寝ていたこともあり、何でトンネルにお店があるのかと思いながら帰ったらポーチを落としており、拾ってもらったことも。人生で一番荒れていた時代ですな。<5代目 ママチャリ>
つくば市に戻り、数年間は自転車無し。今度は自動車があったので、不自由はありませんでした。
高知市に移住したとき、毎週日曜日にママチャリを乗り回していました。東は室戸岬、西は松葉川温泉、北は早明浦ダム。一度、アパートから盗まれてしまい、警察に届けましたがいつもと同じ返事で何もできないとのことなので、自力で歩いてスーパーの駐車場の奥で鍵が壊されていましたが見つけて回収しました。高校生達の溜まり場かもとピンときました。<6代目>
そのママチャリも、奈半利町で盗まれてしまいました。ショックでした。それから自転車を持つことを諦めて、十数年間自転車には乗っていませんでした。
血糖値が下がり、白内障を手術して、運転免許証が復活した暁には、自動車でこの自転車を積んで四国を旅したいと、夢みています。<7代目 26インチ折りたたみママチャリ>
2025年4月28日(月)
鉄心合気道 #■合気道[鉄心合気道HP]
https://shizuokadaigaku-aikido-shido.jimdofree.com 合気道部同期のLINEから、「3月をもって静岡大学合気道部が廃部になったそうです」との一報が入りました。
不祥事ではなく、部員が減り、大学部活動からいわゆる町道場に移行したとのことでした。
とは言え、廃部は現役部員および指導者にはつらい決断だったと思います。卒業生に、誰一人責める者はいません。前進と捉えて、自由に活動して下さい。
『文武両道』を説くことは稀有になり、『武道』が忘れ去られていく時代になったと、実感しています。
自分は、大学生になって、新しいこと、今までやりたくてもできなかったことを求めて、入学すぐに武道系の部活を全部見学して、合気道部に入りました。本当のところ、日本拳法部にも興味がありましたが、道場があまりにも狭く、広い柔道場で稽古していた合気道部を選んだ次第です。
現在、自分は合気道場を開設しています。鉄心合気道を名乗っておりませんが、稽古の中核に師範から学んだことを据えています。
合気道の技の要素・本質を身に付けようとする稽古は、格段に楽しいことです。
合気道の達人になれなくても、合気道が産まれた背景・歴史や先人方々の意志を知ろうとすることだけでも、意義があると考えています。自分は、伝統や武道に今も携わっていられることに感謝して、誇りに思っています。
なお、自分は薬害で動けない体と脳になってしまい、(2007年1月6日に開設して)2024年10月16日1200回を最後に、十畳合気道場を一時中断しています。
頭脳労働では何をやっているのか分からなくなったり、薬疹が全身に出たり、一時は右膝が全く動かせず1ヶ月間も杖[つえ]を突いていました。ですが、原因となった薬を排除して、十分に休養を頂き、もうすぐ復活できるところまで回復してきています。
一番弟子が、生存確認と言って、毎週1回お節介を焼きに来てくれており、このGWには旧道場生も遊び来る予定なので、精神的にも助かっています。
なお、静岡に関わることが困難な環境ですので、見守るしかありません。老兵が口出しすることでもなく、こちらからの一方的な手段として、自分のブログ兼HPが参考になれば幸いです。
P.S. 4月27日、28日と誕生日おめでとう。もう40年前ですか、昔が懐かしいです。還暦の同期会で、会いたいですね。
P.S.1-2 LINEで「時は流れたのですね。」とのコメント。若い頃に♪技の流れに身をまかせ♪と替え歌していたあの名曲も、実感できる年頃になりました☺️
P.S.1-3 LINEで「自分の若い頃はこうだった」とのぼやきか。自分もそうです、笑いを超えて泣けてきますね🤣
本当、昔はめちゃくちゃ楽しかった。そして、まともに謝っていないけど、土下座しても許してもらえない事ばかり。でも、アホなやっちゃと笑い飛ばしたり、理解しようとしたり、許し合ったり。
「窮屈な世の中になったなあ」と感じるのは、極端な声に支配されるのが怖いからでしょう。誰しも、ギロチン狩りの前には無言になってしまいます。バブル崩壊にしろ、コロナウイルスおよびそのワクチンにしろ、戦争にしろ、トランプ関税にしろ、AIにしろ、SNSにしろ、身近な噂話にしろ、全員が同じ方に向くことの危険性を、いつ何時自分に降りかかってくるかの心配を、人は無意識のうちに感じています。
自称、真実を追い求めて、たいてい少数派側に立ってしまう性格なので、随分と打たれ強くなりました。それでも、窮屈になり過ぎたと感じて、おそばせながら何とかしなければと、政治にも行動を移しています。
P.S.2 十畳合気道場では、コロナ直前は10名で曜日分けして、稽古してきました。
コロナ禍後、道場を再開しましたが、一番弟子との二人稽古がほとんどです。一番弟子の成長の為にも、4人で稽古できる体制に戻したいところです。
まあ、体調を考えると、早くても1年先の話ですな。
P.S.3 十畳合気道HPを、再構築していきます。
随分前にまとめた現在の十畳合気道場HPは、イメージ重視で綴っています。自分らしいまとめ方と思っています。
近年は、ブログで言いっぱなしの状態です。イメージから感覚に掘り下げて、整理してみます。
体を動かせないけど、脳は先行して幾分マシなので、ちょうど良い機会です。
P.S.4 同じ大学研究室でアーチェリー部だった兵頭くんが頭に浮かんだ。声には出さないが、フフフッと笑いながら構える姿を想像してしまう。実際はそんなことはないだろうが。元気でいるかなあ。
日本拳法部の山元くんと名前が出てこないけどこの二人も達者でいるかなあ。
憲ちゃんは部活やらなかったけど、スポーツ万能で、頭も首席級。自分は、運動そこそこで、頭は間違いなく底。大学6年間、ずっとつるんでいたのは、不思議な縁でしたね。自分が恋人にしたかった女性からは「憲ちゃんと恋人みたい」と言われたことも。昼休みに、よく卓球していたあの頃が懐かしい。
別に封印もしていないが、大学関係のことが鮮明に甦ってきた。つい昨日のことのようだと、口に出してしまうくらい。
P.S.5 師範が倒れられてからの数々の言動は、いつも心の中でループしている。ここで詳細に語ることではないが、「ちくしょう」と脚を叩かれて立たれていた気持ちが、今になって分かる。最後に出来なかったことを、数年掛けて小林くんに託されたのだと思っている。大変な苦労だが、羨ましくも思う。そして、常に若者を見てやって欲しい。