2022年10月13日(木)
教え方 #■合気道 自分の技の型や術の理論は、のちの一番弟子が入ってきた2009年頃には、おおよそ出来上がっていました。
試しでもありますが、練習生ごとに、教え方を変えてきました。
2007年、道場開設当初は、木剣を使い、筆をイメージした練習から始めました。<仮想剣>という概念まで打ち上げ、今から考えると、かなり無謀だったと思います。
子どもも4名教えましたが、大変でした。三兄弟妹が、地域の相撲大会に参加するために、一週間、相撲の稽古をしてきただけで、しばらく合気道になりませんでした。力を入れることは、本能だと知らされました。そして、あっと言う間に卒業でした。
社会人では、そのほとんどが合気道・武術・格闘技経験者でしたが、転勤・結婚で、幾人もが、あっと言う間でした。
少林寺拳法@室戸市吉良川町のお一方は長く通われて、当道場の技を理解されましたが、腰痛でリタイアされて、残念でした。お付き合いは続いています。
のちの一番弟子は、近所に住み、強者なので辞めないなと感じて、技は盗むものと言わんばかりに、投げ飛ばしてばかりいました。2012年に「オノマトペでは分からん」と言われるまで、彼が教えてもらっていないと思っていたことに、気付きませんでした。3年間、よくぞ耐えたものです。一番弟子は無駄だったと言いますが、自分はそう捉えてはいません。
それからは、一番弟子との二人稽古のときには、口伝を絡めて教えました。公開練習では、自分がお手本を見せ、一番弟子から練習生に教え、脱線したら自分が口や手で茶々を入れる教え方が確立しました。いつしか、一番弟子は理論派と呼ばれ、自分は感情派ということです。
高知市からたまに泊まり込みでくる幽霊部員も、何年間も毎週通っていたメンバーですが、未だに練習方法が確立していない一人です。ご本人は、打撃スタイルを変えるつもりも無いし、楽しそうなので、構わないでしょう。空手の防具など、いろんな道具を置いていってくれます。
今年からの新人2名には、前回までのようにガチガチな型からやらず、合気道の琴線に触れてもらおうと、最初から高度なレベルを、口伝も惜しむことなく、教えています。促成栽培の感は否めませんが、センスがあるのでしょう、かなり上手です。
練習方法は、基本的に4人で回しています。自分→新人A→一番弟子→新人B。説明は、一番弟子に任せています。
そして、2週間前から、『掛かり稽古』もどきを、狙いも明確に告げて、やってます。かなり苦労している様子ですが、自分はその苦労に手答えを感じています。
実は、以前は一番弟子と『乱取り』をしていたのですが、自分が左手小指を脱臼したこともあり、それ以降、乱取りは辞めてました。
最近、先輩方とのやり取りがきっかけで、故鍋田師範がやりたかったことは、故平井稔範士と行われていた『武道の稽古』であると気付かされました。
以前の乱取りと今始めた掛かり稽古もどきとでは、狙い的にも、気持ち的にも、似て非なるものなのです。
『腰回し』に関しては、存在を口にはしますが、勘違いが先に立つので、一番弟子にも少ししか教えていません。腰回しに必要と考えている基礎が彼は下手で、打撃スタイルが抜けないのが致命的に思え、彼も理解しています。
そう言う自分も、腰回しを使いこなせていませんが、稽古では密かに常に使うようにしてます。触れずに倒したりは、できません。なんか不思議と感じてもらえる程度です。
理論を追えば理論が足りず、感覚でもまだまだです。当道場では、腰回しは、自分だけの課題としています。