ガレコレ
Garage Collection
 
2016年9月7日(水)
勘違いの発生メカニズム #※トドロ

 昔からであるが、『勘違い』や『思い込み』が、自分は多い。

 理由は簡単で、正確に暗記することが嫌いだからである。言葉というものは、御幣を生むと考えて、物事を抽象的に捉えようとしている。それが、逆に仇となっていることのほうが多いのだが、この思考回路は、修正することはできないようである。

 勘違いのメカニズムについても、随分と考えている自分がいる。

 複数人の会話の中に、攪乱する人が必ずいる。その人に悪気はないとしても、的確な不安定要素を突くので、一瞬にしてひっくり返るのである。あとから思えば、そんなこと言ったっけとか、何でそんなこと言ったのかとなる。

 自分一人の時でも、頭の中に複数人登場して攪乱する。

 例として、「白いカラス」を挙げる。カラスは黒いのが当たり前である。カラスだけ偏って記憶していると、いつの間にか記憶が「黒いカラス」となってしまう。今までの経験が勝って、新しい記憶を書き換えてしまうのである。

 偏見が強い人ほど、攪乱要因になりやすい。いつも当然のことを言っていると自信があるから、不安な人はコロッと騙される。しかし、付き合いが長くなってくると、また同じことを言っていると、周りから無視されるようになる。

 新人はこのギャップを乗り越えなければいけない。十年来の集団に加わると、この違和感を覚える。高知では、風土の影響もあり、偏見が強く、攪乱要因となっている人が、かなりおられる。

 揚げ足を取られた、ひっくり返された、話の腰を折られた、意思が通じないことが繰り返されることは、県外からの移住者にとって、苦痛以外の何物でもないであろう。

 話を戻して、勘違いを防ぐには、攪乱要因を抑えることである。不安なもの、不確実なもの、新たなものは、仕方がない。攪乱要因が人であれば、その人と付き合わないと決めていても、現実では無理である。攪乱要因が何なのかを、見抜く洞察力こそ、身に付けるべき社会性であると考える。
 
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