ガレコレ
Garage Collection
 
2016年8月12日(金)
プルトニウム保有国という日本 #核・戦争

 伊方原発3号機が稼働してしまった。言っておくが、原発の事故では、人為的であろうが、天災であろうが、取り返しのつかない甚大な被害をもたらしたことを、命は無いものとして現場で対処してくれた人がいなければ日本の国は終わっていたことを、先の福島原発で知ってしまった。それなのに、何故、原発を動かす。

 原発がなければ、日本はプルトニウムを持つ口実が無くなる。原料があれば、原爆を作ることができる。福島原発で、どれだけのプルトニウムを消失させただろうか。どさくさに紛れて、管理外のプルトニウムを、裏金的に捻出してはいないだろうか。密かに原爆を持ちたいと願っているならば、絶好の隠れ蓑であったはずである。自分がそういった裏の関係者であれば、動く。もし、そういった裏の組織があったとして、動かなかったのなら、裏の組織は三流以下である。

 まあ、未だにプルトニウムを原発に求めていることからすれば、裏の組織があったとしても三流以下だったんだろう。

 プルサーマルも順調ならば、これも隠れ蓑になっただろう。どれだけ再生できたかなど、現場の一部の人間しか把握できない。幸い、危なっかしいMOX燃料でごまかして、どう見ても不調である。いや、不調と見せかけていて、実は本当の目的は達成されているならば、相当な役者たちである。

 エネルギーバランスと叫んでいるが、将来、核燃料の採掘の方が、化石燃料より先に終了する。エネルギーを核燃料に依存することの方が愚かな選択である。

 つまり、愚かな選択にすがるのには、必ず訳がある。単純な理由に、容易に辿り着く。


P.S. 日本の核武装は、現実的でないと考える。核弾頭1発持てばいい話では無く、ダミーも含め最低でも数十発を配置して管理しなければならない。国内で、実験を許す場所もない。原爆数発で日本全土を壊滅できるならば、核戦略が元々意味をなさないことは明白である。それでも、国家の安全保障には、亡霊にすがりつきたいのである。
 
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