2016年3月29日(火)
安保法施行 #核・戦争 世界で起きている戦争を放置していてはいけないことは分かる。
しかし、国際平和維持活動PKOと言いながらも、中立を保つ訳でもなく、必ずどちらか側の支援ということになる。後方支援は、戦争における重要な役割である。
そして、集団的自衛権の行使を伴う介入は、もはや戦争に加担することと理解しなければいけない。日本政府が考える受け身の戦術は、戦術とは呼べず、戦えば相手を呼び込んでしまう。
日本が国際貢献を望むのであらば、紛争の仲裁のみに絞って活動すべきである。これが一番難しいが、美しい国を目指すならば、掲げるに値する。
自分は軍事評論家ではないが、北朝鮮の核ミサイル発射のシナリオをいくつも考えている。日本のPKOを引き金にして、東京に打ち込むのが最もあり得る。紛争の切っ掛けは、いつだって言いがかりが原因で、始まってしまえばむやむやになる。その程度が都合がいいのである。
日本の後方支援による敵国と北朝鮮が同盟国(後付けでも構わない)とした場合、北朝鮮は先制核攻撃も辞さない。アメリカ合衆国に弾道ミサイルを飛ばすリスクを負う必要はない。日本の自衛隊は、北朝鮮本土に攻撃しない。アメリカ合衆国は、報復核攻撃を行わず、韓国を煽っての地上戦に突入する。
地形的に言っても、日本はアメリカ合衆国の理想的な盾である。日本人の気質を承知の上で、盾と言う役目を与えてきたといえよう。しかし、日本は弓形の国であり、本来は弓の気質なのかもしれない。
安保法施行により、逆に平和のシナリオが見通しにくくなった。アメリカ合衆国からの真の独立のための布石からも逆行している。自国を守ろうとする重要な法案であるのに、所詮、大国の手の平で踊らされているに過ぎないと思えるのは、自分だけだろうか。
北朝鮮との交渉であるが、撃ち落される覚悟で、交渉に赴くしかないと考えている。文字通り、命を張った交渉でないと、この局面を打破できない。今のやり方では、ほとぼりが覚めることはなく、むしろ地震と同様に歪みを大きくする一方である。そして、安保法施行は、邪魔もの以外の何ものでもない。