ガレコレ
Garage Collection
 
2016年3月24日(木)
この一年を振り返って #※トドロ

 おそらく、人生で最も正念場の一年間でした。

 「禍を転じて福と為す」

 この言葉を念じて、過ごしてきました。

 昨年2015年2月に、再三忠告したにもかかわらず、大家さんが外国人に敷地の半分を貸してしまいました。これはいけないと、副町長に直訴しましたが、暖簾に腕押し。何のための自治体かと愕然としました。

 これにより、昼は悪臭と騒音、夜も作業をやられて安眠できなくなりました。こうなっては、仕事も捗らず、自分の身はともかく、関係者の安全が保てないため、店舗には昼間でもカーテンして施錠して、女性および子供の出入りを禁止しておりました。

 長期戦になると予想して、この土地と建物の買取を断念して白紙に戻し、移転先を探しました。

 渡りに舟で、良い物件を紹介いただき、金銭的にも多数の方にご支援いただき、現在のガレコレ3(奈半利町平)である住宅兼店舗を購入できました。本当にありがとうございました。

 海関係は『海辺の自然学校』を、合気道は『加領郷小学校の体育館』を間借りして、継続できました。

 これらが不調であったなら、富山に帰るつもりでした。

 しかし、悪いことは引き摺るもので、引っ越し疲れが最高潮の5月に、合気道の練習で、左手の小指を痛めました。若い時なら、この程度の突き指は大したことなかったのですが、そのあとのテレビ取材や農作業での杭打ちで、完全に悪化させてしまいました。農作業もできず、プログラミングもできず、収入源が儘ならぬ状況に陥りました。

 ところが、昨年までと比べて、光熱費が抑えられたのが大きく、外食も減らし、節制して何とか持ちこたえています。

 小指は、まだ曲がったままですが、キーボードも叩けて、合気道もごまかしてやっています。まあ、完治には3年かかるかな。同じ左手親指は腱を断裂して手術していますが、そこそこ動くようになったのは20年後のことでした。

 大家さんから10月に外国人に出て行ってもらったと言われて、案外早期決着と安堵しました。それもそのはずで、警察が毎日来てくれて、徹底してマークして貰っていたようです。まあ、その間にも、ひったくりや盗難事件が相次ぎ、彼らとは無関係では無いと感じておりましたが、結局、犯人は捕まっていないようです。

 11月8日に、父が亡くなりました。腎不全と承知しております。十数年ぶりに、富山へ葬式および納骨に帰省しました。寂しいというより、悲しい人だったなとの思いが湧いて出ました。自由に生きるだけの能力を持ちながら、見えない力に縛られた人生だったなと。

 自分は父親のように家に縛られまいとの思いで、富山を出た訳です。似たり寄ったりの人生かもしれませんが、少なくとも自分の意志で動いているだけマシかな。

 生前、父親の血液検査をみる機会がありましたが、遺伝ですかね、数値がよく似ています。自分は、10年ぐらい前から、食生活や運動を見直して、ある程度自分に合ったやり方で、体重80kgに落として体調管理しています。まだまだ、甘いのは承知していますが、ストイックにやると、反動があるので、この程度にしています。

 久しぶりに、親戚に会えて、良かったです。子供たちが賑やかしいこと、いいですね。自分も、そろそろ家庭を持ちたいと、感じました。

 1月9日から、生まれ故郷の新湊を題材にした映画が公開されて、二人で観に行ってきました。少女Aは、ガレコレ起業当初からの知り合いなので、お互い仲間という意識なのですが、一緒になってくれないかなと思っています。先日、先行誕生祝いでスターウォーズ観てきたし、順調かな?今日は、プリプリのライブのため、遠路の人なので、ちょっと寂しい。

 こんな一年間でしたが、何とか乗り切ったと感じています。すべてが花開くときと、こんな感触は生まれて初めてです。きっと、そうなんだろうなと思うのは、楽観主義者だからでしょうかね。
 
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