2015年1月5日(月)
日本航空123便墜落事故 #核・戦争 1985年8月12日に、群馬県御巣鷹山[おすたかやま]に墜落した事故。大学の友人は、スカイメイトにてキャンセル待ちだったそうだが、搭乗できなくて命拾いした。
垂直尾翼が、『自衛隊の訓練用ミサイルの誤発射』によって吹っ飛んだという説がある。自衛隊機が、旅客機を練習台にしているとは、由々しき事態であるが、そんな歪んだ感覚は分からないでもない。事故調査報告書では、事故機の垂直尾翼の破壊過程については、尾翼の回収が部分的であるため、その詳細は特定できなかったとしている。
米軍輸送機C130が、墜落現場を発見して、救助ヘリも向かっていたが、それを断った政府に意図があったと考えるのが自然である。
もし、そうだとしても、犯罪であっても、国家機密。おそらく、そうなのだろう。当時の首相は、中曽根康弘氏で、奇しくも群馬県である。国家機密の一つにすぎず、この人なら墓場まで真相をもっていくだろう。