ガレコレ
Garage Collection
 
2014年9月7日(日)
原発で発展した町ない #核・戦争

 これまた、高知新聞朝刊ネタですみません。新聞と同じ内容では面白くないので、『敦賀原発』のことをお話しします。

 ハザマ勤務時代に、福井県立大学の中村充教授を訪ねて、北陸本線から小浜線に乗り換えるため、敦賀駅で途中下車したときのことです。

 北陸本線は、学生時代から『米原駅』には馴染みがあったのですが、『敦賀駅』は単なる通過点。約束の時間には大分あったので、敦賀を散策した訳です。結構立派な商店街だけど、誰もいません。お店の人の「賑やかだったときは、原発を建設していた時だけ。食堂もたくさんあった。あとは、寂れる一方。」「若狭湾に面している三方五湖はいいとこだけど、誰も来なくなったよ。」という話が印象的でした。事実、あとで足を延ばした三方五湖のゴミの山には幻滅しました。人の手が入らないのを自然と言うけれど、人の目が少なくなると無法地帯と化してしまうんですね。

 トドロも、原発で発展した町はないと断言します。原発は、人のいないところに、つくるものです。仮に、人が住んでいるとしたなら、人として見なしていないと考えるべきです。

 また、最終処分場のことが問題になっていますが、地盤の安定したところに原発を建設したというのなら、原発の地下を最終処分場にすればいいというのは詭弁でしょうか?原発保有地からは、話が違うと猛反発されるでしょう。はなっから、国内処理するつもりはないのです。ならば、我先に、国外処理できる内にと考えるのも、無責任の極みでしょう。膨大なエネルギーの享受には、使い道と伴に、リスクと責任を明確にしなければいけません。

 なお、原爆などをいつでも造れる可能性を残しておくとのキナ臭い話もあります。使えない兵器を持つとは言っていないところが味噌なのでしょう。しかし、間合いはとっくに詰まっており、敵を強気にさせたり、呼び込んだりして、殴り合うしかない状況に陥っています。まさか、相手は打ってこないだろうと気を許すには、愚かな間合いです。

 何もしないよりは『一矢報いる』との気持ちは、窮地に至れば誰しもが持つ可能性があります。何で開戦したんだと聞かれて、この答えでは余りにも虚しいと思います。何をすべきか、自ずと見えてくるものです。
 
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