2013年8月12日(月)
親父の奇行 #※トドロ 草むしりのお仕事を手伝ってもらっていると、「ムカデ、なーつかえん」と言っているので、ムカデに刺されたのかと思って近寄ってみると、『熊手』が壊れかかっていたが、まあ使えるから大丈夫ということだった。
富山弁の「つかえん」は、気を遣わなくていいよ、大丈夫だよという意味である。朝食の際、「この箸、使っていいですか?」の問い掛けに「つかえんよ。」と言われて、ずっと正座のままで待っていたという逸話もある。
まあ本題に戻して、相変わらず、言葉がごっちゃ混ぜになっているのだ。すっごい面白いのが1つ飛び出したのだが、思い出せず、残念。
そして、とにかく物をよく壊す。ガラスや陶器はともかく、メラミン樹脂のお皿をどうやって落としたら、粉々に割れるのだろう。扇風機の電源も、押し切って穴を開けてしまった。ホームセンターで、ハードタッチな扇風機が健在なのは、こういうことかと思い知らされた。リモコンが、いつ壊れるやら。とにかく、思い込みもあり、適度な力で捌けないんだな。
お茶の容器の注ぎ口を開けるのも、力強いに違いない。朝起きると、冷蔵庫の前は水浸しで、容器の蓋は向きが逆さま。ウルトラマンセブンのアイスラッガーが逆に装着されていると、可笑しいでしょう(^^;)
食べ物に関しては、執着が感じられる。頂き物のゼリーを凍らせておいたのだが、店を空ける度に空の容器が増える。1時間に1個だな。カキ氷も3つ買い置きしているが、全部一人で食べてしまう。暑いし仕方がないと言えばそれまでだが、あるだけ食べてしまう。卑しいと言うのではなく、もうちょっこしと思って、我慢ができないのだなあ。一ヶ月経って、ようやく普段の行動があらわになってきた。母が言っていたのは、このようなことか。
やたらオムライスを食べたがる。今晩は、楽園のオムライス(昼メニューなのだが)。帰って来ては、カキ氷。血糖値は、大丈夫じゃないなあ。何か対策を講じなければ。
自分流を変えることができない。と言うより、手を抜いていることで失敗していることに気づかない。例えば、味噌汁をお椀によそう際に、お椀をテーブルに置いたまま、お玉を持っていって、たらたら溢している。何度言っても、変えようとしない。
悪いことに、怒られるのを恐れて、とぼけたり、「なーん悪無い」と開き直り、「よしっ。よしっ。」と一人で気合を入れている。これでは、むかつくだけでなく、100年の恋も冷めてしまうなあ。というトドロも、同じような口癖がある。いかんじゃないか。
トドロは、こんなもんだと余り気にならないが、繊細な人の介護疲れは、ほんのちょっとしたことの積み重ねで、精神的に追い詰められるんだなあと、理解している。まあ、いろんな経験をしてきたからね、ちょっとやそっとのことでは動じないようになっている46歳未だ独身のトドロなのだ。
だけど、生き物を飼うということは、良いようだ。子猫は、確かに大きくなっているのだが、毎朝の親父の日課になっている合鴨への餌やりには、「大きくなったあ」と自慢するように喜んでいる。
7月1日に来た時は、親父の体がよぼよぼになっていて、どうにか体力を戻してあげなければとの思いが真っ先にあった。一ヶ月で、親父自身が「バンバン」と言えるように復調にある。今は、近い将来、奈半利に呼び寄せて暮らす予行練習になっている。今夏、来てもらったのは、ちょっと遅いくらいだったけど、よかったなあと実感している。
P.S.
20日からは、孫が来るので、オムライスに拘っているのは、孫に食べさせてやりたいのだね。後輩の子供たちの食いっぷりに、ダブらせているのか。いや、トドロの子供時代に、お子様ランチをトドロに注文させて、塩ラーメンと交換していた親父だし、ただ食べたいだけなのか。
P.S.2
親父への相槌に「そうなんだ」という言葉をよく使う。あんまり関心がないときに出てしまう。逆に、そう言われたら、やばいんだね。気をつけよう。