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 コーディネーターからみた「子どもの居場所づくり事業」の雑感です。

 

◆子どもの居場所って?

 国や大人の考える「子どもの居場所」は、子ども達の居場所ではない、ということに直面しました(もともとは、子どもを地域住民で守り育てるという観点で開始された事業ですが、、、)。奈半利の男の子は、で遊ぶのが当たり前だし、小さい子を含め、水路付近でよく遊んでいます。

 

 自分達は、国から押し付けられたコーディネーターとして、何か違うことをやっている。

 

 「ヶ岡活体験」の存在意義は、非常に大きいと感じました。この感触は、通学合宿などに携った者でないと理解しにくいでしょうが、この地域が子ども達に贈れるかけがえのないものの一つになっています。都会の子ども達が経験できないことを、十分に経験していく。子ども達が、社会人になって伸びていく、動力になればいいと思いました。

 

 また、地方や地域が抱えている問題を、改めて実感しました。特に、1学年1クラスの実態に、子ども達が感じている閉塞感が、伝わってきました。逃げ場所、寄せる場所、切り開く場所が、本当の子どもの居場所であると。自分達の子どもの頃を思い描いている内に、ふと、ッテルという言葉が、頭に浮かんできました。クラス替えのときのあのドキドキ感、新鮮な気持ちでのぞめること。そういった場が、今の地方では無いんだと。地域のことは地域で解決していく、強い意志が必要と思いました。

 

◆奈半利の子ども達へ
いちょらん」けど「やっゃる」

 「シーツ畳んで、階段下に持ってきたかあ」と言われて、すかさず言っていたよね。

 

 高知県に来て、特に奈半利に来て、何度と無く聞かされてきた、心に突っかかる言葉。

 

 本当に「言うちょらん」で聞いていないのなら納得もできますが、大人も子どもも声を揃えて言います。子は親の鏡しかり、でも、意識してでも親の真似をする無かれ。この土地を離れたら、まず通用しません。

 

 トドロは、建設会社に10年間いたので、工事現場での話を一つ紹介します。「だいだい合ってます」「事務所に戻って調べてきます」何気ない文章ですが、この2つのフレーズを職人さんに言ったら、頭かち割られます。ドライバーで突き立てられます。さてさて、このが分かるかなあ?

 

 もう一つ、今度はから。トドロは、富山県のみなとまち出身なので、それはもう汚い方言を使ってきました。「だ〜ら、なんゆうとる、だら」。「だら」とは「バカ」や「アホ」と同意語なので、相手が地元以外の方であれば辛いですね。同郷同士では、もちろん構わないのです。これでも、ちょっとした否定程度で、決して相手を馬鹿にしているわけではないのです。「こっ、なーんゆうとる、だら」「かっ、なーんゆうとる、だら」と言ったら、地元でも喧嘩になります。

 

 さて、お題のフレーズですが、きちんと伝えた人に向かっていえる言葉では、絶対にありません。1回目は、こいつはお調子者やなあ。でも2回目は、ほんと何も人の言うこと聞かんやっちゃ。3回目には、やってやるとは何という自己中心的な態度や。・・・決して、こいつはお茶目で、敵わんなあ、ということにはなりません。

 

 本人がづち程度に思っている言葉で、トラブルになるのは馬鹿らしいことです。

 

 そして、この言葉から読み取れる精神状態を突き詰めていくと、高知県の子ども達の学力が低いといわれる根本的原因と考えざるおうえません。学力は生活力からということだということを改めて感じさせられました。

 

「人さない(けなさない)画する」

 日本中どこでも、人を貶すこと、人の意見に茶々入れることが、一番のストレス発散になっているようです。郷に入れば郷に従え、といいますが、田舎だからといって、このようなことを楽しみにしてはいけません。人を貶せば、必ず貶されます。日本では、昔から道徳として学んでいるはずです。小さな集団であればあるほど、溝は深まるばかりです。

 

 「高知の人間は、無計画の無鉄砲と相場が決きまっちょる」と自分でいうのは構わないし、そう、出たとこ勝負もいいでしょう。しかし、勝ち続けることが不可能なことは、先人達や歴史が証明済みですよね。そして、そのような調子でしくじったときは、概して再起不能に陥ってしまっているということを、多々見かけてきました。トドロは、合気道を学んでいるとき、それを「」とも教えていただきました。しかし、その術は、すぐに身に付くものではありません。この場では語り尽くせませんが、「計画する」という言葉が助けになることだけは確かです。

 

 計画することを楽しんでください。を実現するためのシミュレーションと思って。計画を立てれば、自然と欲する気持ちが高まります。しかし、これは、悪意ある計画を立てる場合にも同じなので、その点は気を引き締めて下さいな。

 

 これら2つの言葉を対にしたのは、実は「町興し」と関係があるからです。発想法としてレーン・トーミング法というものがあります。簡単に言ってしまえば、目的をはっきりした上で、制約無しでアイデア出しすることです。しかし、ルールが1つだけあります。自分、相手、出てきた発想に対して、否定的なことを言ってはいけません。いろんな人のいろんな経験からの発想を引き出したいのです。茶々入れることは、アイデア出しがストップするということです。貶すことは、信頼関係をも損ねます。

 

 ここまで話せば、地方に「地域資源」「人懐っこさ」があっても、お題の2点が出来ないことが、いかに命的であるかが理解できると思います。特に、中学校に進むみんなには、考えてほしいところです。

 

◆広報について

 広報として、たくさんのポスターおよびチラシを作成しました。トドロのコーディネータの仕事のメインともいっても過言ではありません。当初は、雛形がMS Wordだったので、それにならって作成していました。いろいろな目論見もあり、MS PowerPointに切り替え、徐々にデザインの質や情報量を上げてみました。ポスターには上質紙および顔料多色インクを使用して、インパクトある印刷も行ってみました。

 

 新聞チラシ折込は、費用がかかる割には効果が認められませんでした。児童には、学校から全員にチラシを配布してもらい、かつ、声掛けして一本釣りしていきました。住民には、主要施設(スーパー、ホカホカ弁当、コンビニなど民間も含む)に、ポスター10枚で呼びかけることにしました。

 

 みなさんに、「ポスター」に関心を持っていただけるようになって、一応の成果はあったと思います(内容の伝達はともかく)。ポスター製作を、住民の方に委託する仕組みもあれば、もっと身近になるのかもしれません。

 

P.S. 保健センターLadiesのみなさんに、ポスター製作に興味を持っていただいて、パソコン講習会を実施させていただきました。さっそく、いろいろ試されているので、うれしい限りです。

 

◆人材・体制・予算について

 平成17年度は、奈半利町内での人材発掘を行いましたが、なかなかうまくいきませんでした。「田村のおじいちゃん」とつくる竹細工をやりたかったなあ。いろいろな思いがあって、ロープワークの達人を発掘したかった。講師は、小松先生の段取りがほとんど。

 

 平成18年度の段取りは、昨年9月から公的にすすめていました。昨年12月には150人日予定してほしいとGOサインが出たので、正月返上でガレコレから計画書を提出し、すでに水面下で動いていました。ガレコレの色を出し切って、コーディネーター役2年間を締めくくりたかったのですが、いやはや、2月中旬にもなって、通年のコーディネーター費を本予算(当初予算)に計上せず、通学合宿のコーディネーター費だけは6月補正予算に申請するとのこと。このように覆され、五里霧中に放り出されては、仕事として受けられるものも受けられません。厳しい見方かもしれませんが、行政の誠意と熱意は、予算に表れると考えています。こちらの繁盛期と重なることもあり、お断りしました。

 

 教育長には、教育委員会のスタッフ確保に全力をあげてほしかったですが、みんなのおうち、幼稚園、米ヶ岡生活体験学校、通学合宿のすべてにおいて、一気に体制が崩壊した感があります。もちろん、一から再構成するつもりであれば、全く構いません。自分達のコーディネーター役も真っ先に切ってもらっても納得します。上からの判断という理由だけで、誰がどう尽くしていたのか把握できず、ここまで一瞬で崩せるとは、呆れるしかありません。この責任は重大であることを認識してもらいたいです。

 

 こうなっては、米ヶ岡生活体験学校および通学合宿だけは何とかしたい思っています。教育委員会も同じ気持ちでしょうが、誰が施設を整備して、布団干しして、田畑を準備するのでしょうか。企画や子ども達との寝泊りができるでしょうか。無償ボランティアレベルではないことを認識して、予算に組み込む努力が必要です。今でもかなりのご負担をなさっておりますが米ヶ岡地区住民の方々を始め、PTAとなはりサポータークラブの方々とともに、ガレコレも自分達の範疇で活動していきたいと考えています。

 

 蛇足ですが、米ヶ岡生活体験学校の活用が今のままであれば、高知県主導による東部地域自治体の大合併が行われたときに、真っ先にぶっ飛ぶことは明らかです。絶対に残したい「環境」ですし、育てていきたい「仕組み」です。どうあれば、継続できるか真剣に考え、計画的に物事を進めなければいけません。

 

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