2025年5月21日(水)
反復練習するにあたって #■合気道
故師範の書物から色々引用したいところですが、ご本人に許可を得ることも今となっては叶わず、それら書物は門下生(主に大学合気道部員)のみに示されたものなので、ここでの引用は不適切と判断して控えます。
ただ、師範から伝えて頂いたことが、今の自分の基盤となっていますので、師範との会話を幾つか紹介しながら、自分自身の表現で綴っていきたいと思います。
師範は、色々な言い方がありましたが「合気道の稽古は、反復練習でなければならない」とおっしゃられた一方で、「何百万回やっても同じ」とよく苦笑されていました。
学生が稽古しようとした合気道は、基準となる型でした。師範が伝えたかったのは『合気法』であり、それを実現するための『体捌き』でした。
「大学の道場では、技をやらずに、流し(入身転体)だけ稽古してこい」「先輩と後輩一対一で教えるのではなく、円陣で稽古しろ」「二段掛けで稽古しろ」と言われて、すべてをそうする訳にもいきませんでしたが、練習にかなりの時間を組み込みました。このことは、自分たちが幹部を務めさせてもらったとき、大学合気道部に対する最大の貢献であったと、今でも思っています。
ボクサーであるモハメド・アリの格闘スタイルは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」(原文は ”Float like a butterfly, sting like a bee.”)と表現されます。実際に、試合でトレーナーと共に叫んでいたと言われています。合気道に通ずるところがあります。
自分は、型を教えると同時に、イメージも喋ります。例えば、『浮身』という移動技術を『柳』というイメージと共に教えます。一番弟子は『柳』が苦手なので、その先の極意と考えて誰にも伝えてませんが、合気道の構えは「空中に浮いているトンボ」というイメージです。まあ、チンプンカンプンでしょう。
先人達は「柔術は教えるけど、合気は教えないよ」とおっしゃられています。自分は合気を複数のイメージで伝えていますが、最後はお互いが感じる稽古でなければ、意味がありません。
反復練習は、体に染み込ませる意味もありますが、間違ったことをいくら繰り返しても、無意味です。型を重視するあまり、気づきに至らないことが多いと考えてます。少しずつ変化を試して、気づきを促すことが先です。反復練習は、試行錯誤でなければなりません。まさに、師範は、学生が試行錯誤しているか、観察されていました。自分の一番弟子には、合気道は十分に伝わっていませんが、この感性だけは確実に伝わっています。
単なる言葉の綾かもしれませんが、反復練習では「何を稽古するかより、どう稽古するか」が大切です。