[JR東日本公式Xが炎上!?
冬の「青春18きっぷ」大激変で、広がる利用者困惑の声]
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/900df4d7158d6b6edf733719e6ecc4af91608796 自分は、『青春18きっぷ』を学生時代に2回、社会人で1回使ったことがあります。枚数が多いので、皆んなで分けました。
最初の1枚は、静岡駅から富山県高岡駅までの帰省に。初めて時刻表を買って計画を立てて、始発~終電で間に合うはずだったのですが、汽車が遅れて、乗り換えが間に合わず、石川県金沢駅で打ち止めになるところでした。
寝台列車の車掌さんにお願いして、デッキに乗車することに、目を瞑って貰いました。深夜0時過ぎの高岡駅改札口でも、経緯を話して、許して貰いました。ありがたく、古き良き時代だったと思い出します。
『青春18』は、当時国鉄職員だった伊藤敏博さんの楽曲で、自分のカラオケのお箱にもなっています。P.S. ありゃ、高い声が出ない?
[青春18]
https://youtu.be/wi1xzbkH0X4 伊藤敏博さんは、ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会(通称ポプコン)にて『サヨナラ模様』でグランプリ(第21回、1981年)を取られて、メジャーデビューされました。
[サヨナラ模様]
https://youtu.be/rdu0Uriw_9Yhttps://youtu.be/jflgW-12F5U その頃、自分は中学生で、トップテンで中継される彼の映像を観て影響されて、200曲以上作詞作曲しましたね。唯一の観客である妹には、どこかで聴いたことがあると、笑われてました。
伊藤敏博さんの楽曲にも「何処かで聞いたことあると そっぽを向いてたネ♫」というフレーズがありましたね。
[メモリー]
https://youtu.be/3j0F6CiKdSg 高校時代は、通学の城端線で、この長髪の車掌さんを見かけて、何度も心高ぶったものです。
さて、今回の青春18きっぷの利用方法の大変更は、非常に残念です。これを利用したことのないJR幹部が、単なる交通手段としか考えずに決定したに違いありません。
誰と切符を分け合ったか定かではないのですが、ワクワクした連帯感があったことを覚えています。
普通列車の乗り換えで、普段降りない駅のプラットホームの景色を、いまだに覚えています。無計画で飛び乗って、だだっ広い熱海駅で、乗り継ぎにあんなに待たされるとかね。
乗り合わせた弓道部の高校生達と引率の先生と、持っていた杖[じょう]から話しが盛り上がったことも。そういえば、後輩に作って貰った杖袋、多分、パラオで杖を打ち込みで折ってしまった時に、無くしてしまったなあ。
デッキにて、当時好きだった人に瓜二つの人が寂しそうにいたけど、声掛けられなかったこともあったね。
「青春18きっぷを使っている」と言っただけで、知らない人達と話が始まったよね。
切符の名称は無くならないでしょうが、一つの良き時代が終わってしまった感じがして、寂しいです。