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2024年9月26日(木)
世に言う袴田事件 #警察・交通
 この殺人事件は、自分が生まれる前年である1966年に起きている。また、静岡県清水市は、自分にとって、かけがえのない土地であり、大学生時代からずっと気に留めていた。

 今日、ようやく、無罪判決が出た。結局、関係者が全員亡くなられたので、再審が進んだのだろうと勝手に思っている。控訴は無いと、誰もが思っている。本人にはまだ伝えていないようだが、安寧を願うばかりである。P.S. ご本人から記者会見がありましたね。

 警察の証拠捏造は、一体誰の為、誰が行ったのか? 何故、裁判において、警察の証拠捏造の筋で進まなかったのか? 真犯人は誰だ? 警察が身内に甘いのなら、どうあるべきか?

 無実の人の生命と尊厳を砕くことで、臭いものに蓋をしろとは、尋常ではない。殺人と同義だ。被告人不明でも、被告人認否で情状酌量の余地無しと仮定して罪量(量刑)を明確にすべき制度が、社会的に必要と考える。

 この殺人事件を、袴田事件と呼ぶのではなく、袴田さんの生き様を、そう呼ぶと考えたい。いや、殺人事件を別の名称で呼び、逮捕から裁判に対して『袴田冤罪裁判』と呼び改める必要がある。



P.S. 自分も大学時代に、静岡県藤枝警察署(担当松本)に、1月3日に発生した自動車対自動車の当て逃げ犯に、知らぬ間に仕立てられて、3月中旬の2泊3日の卒業旅行から帰って来たら、逃亡していたことになっていた。

 大した事件でも無く、わざわざ自ら自動車を藤枝警察署に持ち込み、すぐに疑いを晴らした。松本は「帰って良し」で済ませようとした。こちらが文句を言うと、上司から謝罪があり、さらに文句を言うと、実家の母に電話してくれたが説明・謝罪になっておらず、人を馬鹿にするにも程がある。異常な扱いへの憤りは、未だに収まっていない。
 
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