ガレコレ [Garage Collection]
2022年9月28日(水)
弔辞 #政治・経済
 岸田文雄総理、友人代表として菅義偉前総理が、弔辞を読まれました。

[朝日新聞]
岸田首相の弔辞
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ9V6V9NQ9VUTFK02W.html

菅前首相の追悼の辞
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ9V6VMHQ9VUTFK02Y.html



 菅義偉前総理の弔辞に感動したと、話題になっています。自分も良かったと思います。しかし、自分は、彼ら政治家に対して、色眼鏡で観ています。

 少しの本当を混ぜることで、作り話はリアリティを増します。銀座の焼き鳥屋(個室でしょうが、お店に3時間以上ですか?)、事件後に衆議院第一議員会館1212号室へ行かれたのは本当でしょう。内容も嘘では無いかも知れませんが、菅義偉前総理の創作であると直感しました。

 総裁選への再出馬および長期政権は、安倍晋三の我からではないことを印象付けました。

 机にあった読みかけの本。「総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」この上無い、素晴らしい締め言葉です。

 なお、内容が創作であっても、弔辞では許される範疇と考えられるので、追求は無用です。



 自分も、弔辞を読んだり、弔辞を頼まれましたが他に適任者がいるとお伝えして辞退させてもらったことがあります。皆んなが知っているアイツ、自分しか知らないアイツ、名言や武勇伝、昔話と近況の話。アイツが苦笑いしてる顔が思い浮かびます。

 師範の葬式に参列したかったのですが、仕事で行けませんでした。後日、ご自宅の仏壇にて、ゆっくり語らせて頂きました。

 合気道部同期で3年間隣部屋だった杉本勝義の死は、同期の皆んなも後日知ることとなりましたが、弔辞を読んで送ってやりたかった。未だ、墓前にも手を合わせてやれてないのが、本当に心苦しい。

 親父の家族葬では、喪主として、お通夜にご挨拶させて頂きました。皆さんにご迷惑を掛けたことを謝りたかったけれど、釘を刺されていたので、良き思い出話しに終始しました。自分が小さな頃の子煩悩なところ、近年3年間は夏に高知に来て店を手伝ってもらったことを、お話しさせてもらいました。



P.S. 自分は直感で述べさせてもらいましたが、学識のある方が読み解くと、菅義偉前総理の政治家骨格が、弔辞にも表れているのですね。

 記事の半分は揚げ足取りですが、「総理、あなたの判断はいつも正しかった」は、確かに「ン?」でした。弔辞に、功績を述べるのは常でしょうが、特に政治家に全肯定は変に聞こえます。自分へ弔辞を頂けるなら、「半分は正しかった」と述べてもらえるとありがたいです。半分・斜め・継続は、自分の信条です。

 紹介した一首の『山県有朋』が言論弾圧の象徴とは露知らず、日本近代史は勉強していないなあと、つくづく考えさせられました。ただ、あの一首は、菅義偉前総理の心情を見事に映していました。そして、どんな人も、三つ子の心、時代の世界観から逃れるのは、難しいことです。

[東京新聞]
国葬で「感動的」と称賛された菅義偉前首相の弔辞…冷静に読むとにじむ「弱者切り捨て、身内優遇」
2022年10月1日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205720



P.S.2 現在の若い世代にとって、総理と言えば安倍晋三です。自分にとっての田中角栄(在任期間1972年7月7日〜1974年12月9日)に相当すると思います。

 『ロッキード事件』は、子どもながらも「大事の前の小事」と割り切ったものです。のちに、陰謀説を知り、政治の世界を嫌い、好きな理系の道を選びました。今の自民党を観て、若い世代が政治に関心を向けるのは無理です。

 楽しいことであった『東京オリンピック』も、腐敗しきってました。自分は、当初、ある程度のコンサル料は認めてやれと思いました。身近で起きた『奈半利町ふるさと納税事件』と同じでした。積み上げると、看過できない額になるのが、汚職なのですね。金と心の関係は、永遠の課題。自分は、グレーな生き方をしてきたので、甘ちゃんでした。
 
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