ガレコレ [Garage Collection]
2020年1月16日(木)
気について #■合気道
 自分は、広義狭義に関わらず、気はあるとして、練習しております。

 ほとんど動かずに、相手に触れずして、相手を崩したり飛ばしたりする術ですが、相手が不意を突かれたと感じなければ、全く効果は生じません。ドラッグや酒によって迷酔状態の相手には、効きません。死を覚悟した人に対しては、死の恐れを覚醒させなければ、無意味です。本気でない攻撃にも、掛かりません。そのような輩には、体術で対応します。

 また、相手に触れずして相手に効果を与えるのは『合気の術』の範疇で、これ無しでは、本当の合気道には到達できません。ただし、雲を掴むような動きを真似てみても、身に付くものではありません。

 故師範は「合気柔術を練習せよ」と述べられています。お互いに触れあって技を掛けることによって、合気の術を知っていくのです。

 自分は、気は繋ぎと流れと考えています。理屈では、触れていなくても繋がっているとお互いに感じていれば、気で相手を倒せます。

 当道場では、手刀で相手に触れて、繋ぎの部位・形状・手順、および流れによる変化を探求しています。気は出すものと捉えず、気はイメージで作り感じさせるものと言えば、当道場で練習している気を区別してもらえると思います。


P.S.
 
練習している内容を「これを気と呼ぶのか」と言って笑ってもらいながら、見学してもらいました。
 
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