ガレコレ [Garage Collection]
2019年12月10日(火)
合気道は別物と考えてみる。 #■合気道
 合気道は、武術の母体であり、剣を持ては剣術、棒を持てば棒術となると教えられてきました。

 確かに、合気道設立の経緯がそうであり、そのような感覚に襲われることがありますが、各武術は合気道と大きく異なっています。合気道の要素を逆輸入すれば、新たな境地も開けますが、母体は別物と考えるのが妥当です。

 特に、相撲の力士に、合気道を伝えてみても、迷いが生じるだけで、迷いは弱さに繋がります。目から鱗が落ちたとしても、母体がしっかりしている人ほど、合気道を吸収するのが難しいことを、道場を開いてから経験しています。

 また、当道場に通っていた子ども達が、地域の相撲大会のため1週間相撲の稽古に行っただけで、しばらく合気道にならなかったこともありました。

 自分は、大学で体育会合気道部に入りました。中高とバスケットボール部でしたが、高校の頃はプロレスをよく真似て、同期の部員には大学でプロレス同好会に入った者もいました。中学の頃は、ジャッキーチェンを真似して中国拳法もどきで遊びました。小学校の頃は、小兵ながら相撲が好きで、力士や柔道家にあこがれたものです。幼い頃の最大の武器は、ライダーキックでした。

 何故、こんな昔話を持ち出したかと言うと、大学に入学するまでろくに武術を習ったことが無い自分でも、戦い方のイメージを自然に植え付けられているということです。実際、本人にはそのつもりは無いのですが、大学時代はパワー合気道と揶揄されたものです。取るに足らないイメージが払しょくされるまで、十年は掛かりました。

 つまり、戦い方のイメージを上書きするだけでは不十分で、根本から変えないと、合気道の門は開かなかった訳です。これが、合気道は別物との考えに至った経緯です。参考になりましたでしょうか?

 現代合気道では、力技を捨ててしまいました。勝利手段を捨ててまで、合気の術に拘ったと考えることにしています。自分も中年後期に入り、馬力は最盛期の半分もありません。力や速さでは、若い人には敵いませんし、突きや蹴りでは空手家に及びません。しかし、相手にとって訳の分からん技で仕留めることができます。母体が異なるので、出来ることです。



P.S.
 
「青は藍より出でて藍より青し」というのが合気道。今はそう思っています。


P.S.2
 
銃をおもちゃにした子ども達は、戦い方のイメージはそれに染まるのでしょう。
 
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