ガレコレ [Garage Collection]
2019年3月11日(月)
基礎と基本 #■合気道
 当道場では、『基礎』と『基本』を厳格に分けています。

 例えば、自分が大学生時代の合気道部では、運足の説明に、後ろ45度→前90度に捌くなどと教えていました。のちに、この角度による捌きを『基本』と呼んではいけないと考えるようになりました。角度による捌きは、あくまでも体慣らしで、『基礎』です。基本に立ち戻るときに、角度による捌きにまで戻る意味はありません。立ち戻れる『基本』とは何でしょうか?

 修行段階を『守破離』と進めるならば、再び『守』に戻って見詰め直すときに、何を拠り所にすればよいのでしょうか。

 『型』は、先人達の知恵や工夫の結晶と言われます。しかし、硬直化した型から本質を読み解くことは難しく、逆に発想を委縮させかねません。決して、型の修得を否定している訳ではありませんので、あしからず。

 自分は、基本に形を求めず、本質を羅列できればと思っています。

 合気道の練習で、最も重視していることは、「相手がどう感じているか」です。「自分の力を出し切る」ことは、二の次としています。

 「互いを微重力空間にいざなう」ことが、合気道の最大の本質と考えています。「何故、軽く技が極まるのか」との問いから導き出した感覚的な答えです。しかし、砂上の楼閣ではないと確信しています。言わば、当道場の原点です。

 実戦レベルでは、「神の時間で繋げていく」ことが挙げられます。

 羅列した本質の言葉を理解したとき、何を練習すべきか分かるはずです。


P.S. ガレコレ十畳道場を開設したての頃は、『無重力空間』と表現していましたが、最近になって『微重力空間』に修正しました。軽いという点では、無重力でも構わないのですが、技に収束点があることから、重力が皆無では良くないだろうと、微重力に改めました。

P.S.1-2 「互いを」という感覚に辿り着くには、随分と時間が掛かりました。スピードの無い自分が、平面的に動くには限界があり、立体的に動いてはどうかと『浮身』『柳』を練習するうちに、自分も相手と同じ『無重力空間』に居て繋がっている必要があると気づきました。

P.S.1-3 自分が表現できるのは、合気道の一部に過ぎません。自分が魅力を感じるところを抜粋して練習しています。別の山もありますが、自分はあまり魅力を感じません。一番弟子もそう言ってくれており、道場では彼が上手く言葉でも補佐してくれるので、「互いを微重力空間にいざなう」を原点にして邁進していきます。
 
お問い合わせ


by Network Communication Note