ガレコレ [Garage Collection]
2016年9月8日(木)
体捌き #■合気道
 光輪洞合気道の体捌きは8本あり、故師範は脱会したが体捌き7本の稽古を続け、当道場もその体捌き7本を継承している。植芝流など他の流派には、体捌きに相当する単独動作の稽古は無い。

 自分が若かりし頃は、『袈裟斬り』を第一の体捌きとして重視していた。近年は、『後ろ捌き』を第一の体捌きとして重視している。

 体捌きを、初心者に教えることは難しい。合気道に慣れるという目的で始めると、次の二つの弊害が立ちはだかる。

・体捌きが、単なる『準備運動』に成り下がってしまう。
・体捌きの基本が、完成から程遠い『型』として勘違いしてしまう。

 当道場では、準備運動としては、『歩み』の練習で体を温めてほぐす程度で、受け身、体捌きは行っていない。まあ、練習時間が短いこともあるが、悪いことに『歩み』を指導し過ぎて、それだけで終わることもしばしばである。

 現道場生には、体捌き7本、一通り、型は教えている。要点を突き詰めた体捌きは、技がある程度進んでからでないと修得が難しいとして、棚に上げたままであった。

 昔話になるが、初めて、故師範の体捌きを目の前にしたとき、自分たちが行っているのと全く異なっており、当時は名人になると端折ると理解したものである。

 手刀がパッと向くのであって、手刀をグルグル振り回すのではない。長刀をグルグル振り回しては、完全に遅れることは、謝りに気づく良い例である。

 『円の体捌き』というと、得てして『正円の軌跡』が正しいと勘違いしてしまう。美しく綴られた言葉は、時に語弊を生むものである。円の意味は、『不断』ぐらいに取っておくのが良い。

 何事にも、両面から攻めていくと良い。トンネルを両端から掘り進めて、中で結び付くように。相手を付けてする稽古は、相手が感じていることを第一に行う。体捌きは、自分の手刀がどう動きたいかを第一に行う。これら両方の第一が交わるときに、真の稽古となる。
 
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