ガレコレ [Garage Collection]
2014年3月5日(水)
奥義の陰陽 ■合気道
 合気道では、最初から奥義を教えてもらえる。正確に表現するならば、奥義に通じる術を教えてもらえる。故先生も、「奥義を修得することに、時間を使いなさい」とおっしゃっている。しがない未熟な自分が、合気道の奥義について、臆することなく語れるのも、こうした環境に由来するところが大きい。

 合気道の奥義は、技や術ではない。技の型は、柔術や剣術などからの借り物であったりする。合気道は、総合武術として生まれた経緯から、どう技を使いこなすのかに主眼が置かれているはずである。複数の術は、1つの奥義を多方向から見ているに過ぎず、1つの術を完璧にこなせたとしても、奥義には程遠い。

 奥義の陰陽を、ずっと考えてきた。合気道は、人殺しの法であることから、殺伐なところを陰とすれば良いと、安直に思うだろう。しかし、実際は逆で、そのような危険なことを教えることにこそ、合気道の存在意義がある。

 奥義を考えないから、得てして力技や早業に走ってしまう。総合武術であれば、何でもありだろうと言ってしまうのは、目指す奥義が無いに等しい。目指す奥義は、必殺技でなく、ごく当たり前なことなのである。

 陰の奥義は、差別化や優位性を保つためならば、消極的にしか聞こえない。伝えるすべが希薄なため、理解できなかったり、誤解が生じやすいので、あえて陰とするという考えに至った。何事も、受け入れる感性が育っていなければ、馬の耳に念仏である。下手すれば、殺し合いを正当化する材料にもされてしまう。

 陽の奥義は、すべての人の知るところとなり、生き方の指針となればよい。要は、奥義で形成される当たり前な世界があるということを知ることが重要なのである。
 
お問い合わせ


by Network Communication Note