
政治・経済
奈半利町に移住してつくづく感じるのは、この中芸地域では、企画がぞんけんに扱われ、発案者の意図とは似て非なる企画擬きが勝手に進み、失敗していることすら認めようとせず、失敗から抜け出せないことです。
また、良かったと思えるイベントは、規模を拡大して何回も続けたいと思うのが当たり前ですが、これが地方を疲弊させる足枷になることもあります。
「継続は力なり」は、自分も重んじている言葉ですが、同じことを続けることが、継続や伝統とは考えていません。物足りないなあ、上手くいっていないなあと気付いたら、それを認めるところから始めましょう。
さて、地方自治体では、職員は3年で配置転換となります。役場の全ての業務を把握するためと言えば聞こえは良いですが、業者癒着の防止といった消極的目的が主なのでしょう。
一職員一企画が、役場を良い職場に向かわせると思います。従来の公務員気質の堅物さんには鬱陶しく、やらなければいけない仕事が沢山あると不平不満が聞こえてきそうですが、自分の経験から言わせてもらうとチャンチャラ可笑しい限りです。所属部署に合った企画が望ましいですが、良い企画ならば後付けでどうとでもなります。
ローテーションに合わせて、その職員の企画も3年で完結すべきと考えます。First-Next-Finalとテンポ良く。特に課長には、役場を代表する企画の大風呂敷を広げられるかが、自分の基準です。どうしても、日常業務を把握している者を課長に据えたいのであるならば、企画に意欲ある者に担当課長として権限を与えたいと考えています。
例え企画の冠名称は同じでも、プロデューサーが替わると考え下さい。これを意識しなければ、新陳代謝や発展は見込めません。担当者という肩書きは、苦情受付係と想像してしまいます。チラシに担当者ではなくプロデューサーと記載するだけでも意識改革できると思います。
なお、奈半利町および中芸地域は、全国的にも魅力ある田舎の一つだと思います。のんびりと過ごせる空間と時間には、無限の可能性を秘めています。
地元住民を対象に半分、交流人口を対象に半分、暮らしが回る仕組みを示ればと、常々考えています。
ただ、人生にはスパイスが必須です。自分が好きなシュノーケリング🤿や合気道🫲は、地域のスパイスになればイイなあと思っています。
人それぞれの企画がテンポ良く繰り出される田舎町を夢見ています。
P.S. 奈半利町長選挙には、担がれても出馬しません。自分では勝てません、あしからず。
上記文章は、あくまでも持論であり、ガレコレ設立時からの理念と手法です。いくら説いても、儲けにはなりませんが、ガレコレ信者は結構おられます。
昨年5月22日から治療している糖尿病の数値はどうにか収まってきましたが、2度の薬害で筋肉・関節・脳を(多分内臓も)痛めてしまいました。
1月の薬害前までは、3月復帰のつもりでしたが、今は仕事にならず、少しだけオーバーワーク気味にリハビリに専念しています。仕事や活動は、今秋までしばし時間をください。
P.S.2 今だに「ガレコレ(またはドドロさん:岩瀬に同義)が企画したアレは良かった」と懐かしんでくれることもあり、「ヘェー、覚えてくれているんだ」と感動したりして、自称アイデアマン冥利に尽きます。
わざわざ霧雨の中、白内障のため視力が足りず運転免許証が失効中なので、海抜84mの自宅から自転車で奈半利町役場に向かう。(帰りの平均勾配9%上り坂のほうが大変なのだが、必須なリハビリ運動と称して、ほぼ毎日、奈半利駅までは往復している。)
今回の奈半利町議会一般質問の傍聴者は3人で、高知新聞の記者はずっと来ていない(前回は2名)。奈半利町議会一般質問の内容が恥ずかしくて、ブログにすることをずっと控えてきたが、今日の一般質問の竹崎和伸町長の答弁は酷すぎた。もはや、奈半利町議会の一般質問を傍聴する価値は一片も無し。
小笠原良議員は、毎年一般質問で、町長の『所信表明』を促しており、今回もそうであろうと認識している質問に対して、竹崎和伸町長の答弁には、変な含みが多々感じられた。裏取りしてみて、色々と分かったが、ブログには書けない。
まあ、自分としては、『リーダーシップ』というキーワードすら無く、目指す『ビジョン』すら語られなかったことに、呆れ返るばかりである。全く熱さが感じられない。熱さがなければ、何を述べても住民に伝わらず、住民を動かすことはできない。奈半利町住民は分かっていても、最初から政治に関わる資格が無い者に、奈半利町をずっと預けている。政治家とは、自宅を一歩出た瞬間から公人である。
竹崎和伸町長の答弁内容は、就職面接試験ならば、真っ先に落とされる内容で0点。発言とは、『キーワード』を散りばめて『分かりやすく』、『理想的方向』を示し、『現状認識』して、『落とし所』を探る内容でなくてはならない、というのが持論である。あらかじめ答弁を用意してきたとも思えず、議員にも、傍聴者にも、役場職員にも、そして住人にも失礼千万な対応である。住民に選ばれた町長とよく言えたものだ。
こんなことだから、奈半利町職員の不祥事が絶えず、最低限の役割も果たせていないというのが、住民からの目線である。竹崎和伸町長に直談判など、一部の者にしか当てにならない。他の自治体から嘲笑されて続けているが、竹崎和伸町長の耳には入らないのか? 「ようやっちょる」と労ってもらえるのは、取り巻きだけに過ぎない。一連の問題の責任は、前町長にもあるが、竹崎和伸現町長の責任は極めて重い。
次期4年間も、この竹崎和伸町長でやるしかないのか? 町長選挙では、勝てる対抗馬がいない。更に4年間この体制で無駄な時間を過ごすしかないと思うと、腹が立って仕方がない。
役場では、55歳で課長職を追われる。その後、役場に携わるには、非役職としてアドバイザー的役割に回るか、これを機に首長や副長に押し上げて貰うしかない。
地方自治には、ローカルルールが多々あり、それらを知り尽くしている役場出身者がトップを取った方が、波風は立たない。悪く言えば、「臭いものには蓋をしろ」がまかり通るとの勘違いが積み上げられて、雁字搦めになっている地方自治体ばかり。いや、国の政治はもっと酷いか。
『稲作』は、役場が口出しする領分でないことは、重々承知。取り組みを羅列するだけでは、ナンセンス。現状分析して、役場が認識している問題解決の糸口を示すことは、議員の一般質問に対する役場の役割と考える。役場の仕事のほとんどは、肉体労働ではなく、頭脳労働である。考える時間が無いと言うならば、役場は要らない。
備蓄米の配布でも問題が明らかになってきているが、上流から中流や下流まで、一連の工程を見直さなければならない。米を備蓄米するという『上流』だけしか考えていなかったことが、暴露された意義は大きい。
それにしても、マルナカ奈半利店に、米袋が並ぶのはいつの日か? これを解消しようと動いている人は、この地域にいるのか?
『防火貯水槽』をつくるだけでは、『上流』しか解決していない。ポンプ車の立ち回り、消火手順や安全作業の立案、消火器の設置、火の取り扱いにまで、議論して欲しかった。案外、抜けているものだ。
自分も、火の取り扱いには注意を払っているが、電熱機に料理を掛けたまま、二階に上がり片付けを始めてしまい、火災報知器を初めて鳴らしてしまったことが一度だけある。薬害により脳が正常に機能していないと認識していても、これだ。薬害だけではなく、老化や生活態度により、不注意は発生するものである。出火してはいけないが、防火は出火を前提に考えなければ、絵に描いた餅だ。
『事前復興計画』は、住民不在で専門家に丸投げの姿勢が痛いほど伝わってきた。そして、法外な値段をふっかけられていることも、想像できた。国の政策は名ばかりで、末端の地方自治体に負担をかけるばかりである。
住民アンケートすら実施されていない。生き延びた場合に奈半利町に残るのか、ライフラインはどうするのか、住居だけでも高台移転するのか、市街地の再生率はどれくらいなのか、農業・漁業・工業・商業は続けられるのか、交通網はどうするのか、奈半利川は渡れるのか、ダムはどうなるのか、元加領郷小学校の建物が崖から崩れて大被害をもたらしていないか、何も把握できていない。
子供を持つ世代は、非被災地の親戚・知人を頼りに、大部分が流出するだろう。しかし、それができない方々は、どうすればいいのか。
地域統合して小中の一貫校にする考えもあろうが、全て別々にする必要があると考える。特に、小学校は各自治体に1校あるべきと考える。それが可能なのか、判断材料すら無い。
by Network Communication Note