ガレコレ [Garage Collection]
2022年1月5日(水)
修学旅行について考えてみる #※トドロ
 中学の修学旅行は、広島・京都・奈良でした。自分は秋芳洞@山口県に一票入れていたのですが、自分たちの時代は日本の歴史を学ぶ傾向が強かったと思います。広島の平和資料記念館の階段を上がったこと、安芸の宮島の嚴島神社の境内に古い自転車がおいてあったこと、細かに覚えています。また、自由時間がありました。今と違って情報量が少なく、時間も短かったため、近くを右往左往しただけで、名ばかりの自由でした。なお、悪だくみに組しませんでしたが、覗きに行った大集団が叱られたこと。修学旅行は、生涯、記憶に残っています。

 高校では、公的な修学旅行は無く、有志で雨晴海岸[あまはらしかいがん]に行きました。自分たちだけで計画したので、思い出深いものになっています。また、バスケットボール部で、最後の試合に福井にお泊りしたこともよく覚えています。後半の後半で「あと1分で後輩に全員交代」と言われて、その直後にハーフラインからのワンドリブルでのレイアップシュートはよくぞ入ったもんだと、右膝が限界を迎えていたので、いい引退記念でした。

 小学6年では、地元の立山に登るのが慣例でしたが、前の学年が立山でケガしたとかで、自分たちの学年だけ立山に行っていません。大学のときに室堂[むろどう]までは行っていますが、生涯のトラウマになっているかもしれません。(静岡大学時代には富士山の頂上には到達しておらず、社会人になってから妹と二人で登頂して、心のモヤモヤが晴れたものです。)

 大学では、大学院の卒業旅行で、男3人で、山陰に行ってきました。合気道着をわざわざ持参して、鳥取砂丘でパフォーマンスして楽しかったなあ。本当は、海外旅行の予定でしたが、湾岸戦争の影響で渡航不可能でした。



 さて、コロナ再発で、甥っ子の沖縄修学旅行が危うくなっています。沖縄いいよね。自分は、社会人になってから、サンゴ礁等の研究で、沖縄本島、慶良間諸島阿嘉島、八重山諸島石垣島・黒島と、結構行かせてもらいました。しかし、観光と言えば、修復中の首里城、国際通り(三越にいたという土産屋の女将さんと長話)、ソーキそば、ゴーヤチャンプルぐらい。海三昧でしたが、沖縄に行ったとは言えませんね。

 修学旅行は、そんなに自発的なものでもなく、あくまでも大人から与えられた枠でとの印象を強く持っています。たしかに、子どもは知らないことばかりで、釈迦の掌で足掻いているに過ぎないのかもしれません。そのとき興味が無くても、実際に行って目にすることで、変わるところもあります。楽しければ良いというものでもないと思うのは、古い考えかもしれませんね。

 田舎であれば、生涯同じ顔を見て過ごす人も多いでしょうが、都会では散り散りバラバラになるので、その時の仲間で何をするかが大切だと思います。自分たちの時代は『木刀禁止』が注意書きにあり、今なら笑えます。旅の恥はかき捨てにならない時代、甥っ子には、節度ある修学旅行を楽しんでもらいたいですね。でも、今からだと、沖縄を変更するのも難しいから、中止になるのかなあ。見守って、妹からの連絡待ちです。



P.S. 3月下旬に再延期になったそうです。2月上旬に感染ピークと予想されているようですが、その根拠はどこにもありません。AIにどんなデータを食わせているのでしょうかね。第5波とは違うんです。
 
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