ガレコレ [Garage Collection]
2019年2月15日(金)
合気とは何か #■合気道
 柔道と剣道がスポーツ化していくのを憂いて、総合武道を創設して、合気道と命名したのが、合気道の起こりです。足りないものは何かと考えたときに、『合気』だったということなのでしょう。

 では、合気とは何なんでしょう。そもそも、合気はあるのでしょうか。

 武道がスポーツ化していく中、命に関わる危険な技を排除して、柔道では体重別が当たり前になりました。小さな者が大きな者を倒せない環境になってしまったのです。指導者は、分かりにくいことを後回しにして、物理的な筋力と型を優先してしまいました。

 冷蔵庫をぶん投げようとしたときに、コツはありますが、筋力が必要です。では、同じ重さの人間の場合、どうでしょう。投げれない時もあれば、簡単に投げられる時もあるでしょう。人間には、骨と関節と筋肉と神経があります。これらが、投げ易さに関わっています。

 人間の体の部位には、それぞれ重さがあり、それぞれの可動範囲に制限があります。相手の身動きを封じて、相手の重さを軽く扱う方法があります。

 筋肉の反応速度、神経の伝達速度と処理速度があります。反射や訓練や予測でもって、不可能を可能にすることもできますが、どうしようもない反応と経過時間が存在します。

 上記の事項を含めて、生物は物理的および化学的に説明できるでしょう。一般的に、表面に見えない部分を、『気』と表現しています。表面上の物理的にはそんなに動かないものでも、気により激しく動くのです。

 技が鮮やかに極まるのは、相手と自分が一体化した結果です。その一体化には、相手と自分の気の繋ぎが必要です。バラバラでは、独り善がりの小さな気の押し付けになってしまいます。

 合気道や武術に限らず、相手がどう感じているかを察することは、人間的にも社会的にも有意義なことです。道徳とは切り離して考えて下さい。合気道では、その感覚を養えます。自分は若い時分に、その感覚に押し潰れそうになりましたが、その後も合気道を続けて、その感覚を取り戻すとともに、制御するすべも分かってきたと実感しています。

 まあ、合気の説明には足りませんが、合気はそんなに神憑った不思議なことではありません。合気道の練習で、相手がどう感じているかを感じることを繰り返していくうちに、少しずつみえてくるものです。当道場のメンバーは、結構楽しんでやっていますよ。


P.S. 古い友人からの投稿があったので、急いで綴ってみました。参考になれば幸いです。
 
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