ガレコレ [Garage Collection]
2017年9月26日(火)
衆議院解散について #政治・経済
 北朝鮮問題が山場にあるこの時期に、衆議院解散するとは、まず安倍総理大臣の感覚を疑います。

 衆議院選挙で浮足になっている時に有事があった場合、取り返しがつかない後手を踏むことになります。後手を踏むことは命取りになるということで、とても戦略家とは思えません。

 解散の名目の1つに北朝鮮問題を挙げていますが、上記のことからも、全くの後付けです。

 解散の名目のもう1つは、教育の無償化に消費税の増税分を当てることですが、見積もりが甘く、絶対に足りません。

 自分は、高等教育も高等教育、大学院まで修学させてもらった身なので、教育は大切なことは、身を持って実感しています。

 当時の日本の学びは、効率よりも広い知識、個人よりも全員といったところを目指していたと考えています。

 しかし、過熱した受験戦争により、詰め込み型の人間ばかり育ったように思えます。自分もその一人ですね。

 その反面『ゆとり教育』は失敗したとよく言われますが、良いところを余りにも見ていません。

 従来の教育を振り返ってみると、誰もが不審に感じていることがあるでしょう。一例を下記に挙げます。

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【社会】
・歴史では、古代史や天皇史はじっくりやるのに、近代史は駆け足または時間が押して授業でやらない。
・社会問題を抱えている地域を取り上げない。
・朝鮮、中国、ロシアといった隣国をもっと知るべきである。
・宗教について、授業ではやらなかった。
・文化をもっと勉強したかった。

【数学】
・難しい公式ばかり覚えなければならない。重要なのは、公式の成り立ち、公式間の繋がり、そして公式の創造。

【英語】
・古典英語しかやらなかった。
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 きりが無く、話が逸れたので、これは次回にしておきます。

 どうでもいい内容で教科書を厚くしたり多くしたりして、教育の費用を吊り上げたり、様々な負担を大きくしています。

 子供は、例えばプログラミングに興味があっても、指導する先生がいないというだけで、授業には組み込まれません。単なる大人の言い訳に過ぎないことは明白です。

 自分の教育の考え方は、基底は広く浅く、専門は天高くです。昔いわゆるT型人間、Π型人間ですね。基底と専門とでは、勉強の仕方が異なります。基底は鼻歌で、専門はサグラダファミリアと思っています。現代の教育は、区別せずに詰め込まなければ評価されないので、勉強が疲れるのでしょう。

 話を戻すと、教育無償化の前に、すべきことをやっていません。順序を誤ると、費用が膨らむばかりです。

 さらに話を戻すと、解散理由の2つは、全く意味を成していません。かつ、安倍晋三氏の私利私欲のみ浮き出しになったと思います。自民党から離党する人が現れるのも当然でしょう。
 
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