ガレコレ [Garage Collection]
2017年1月8日(日)
常識を疑え #■合気道
 (1)目の前で起きた現象の観察、(2)特異点の注目、(3)常識を疑うことが、自分の探求方法の三本柱である。その中でも、常識を疑うことが如何に難しいことで、他の人の目には愚かなことに映る。

 合気道に限らず、どの分野においても「力を抜いて」と指導を受け、また指導されているだろう。ただ、本当に力を抜いて実践できる人は、極稀にしかいない。筋肉を使うことは本能に直結しているし、どのような動きにも力が必要なので、線引きが難しい。

 また、言葉とは厄介なもので、語弊の殻はかなり堅い。摺り足、手刀、軸、腰廻し(腰廻り)、肘を反す、押し倒し、引き倒し、小手回し、小手捻り、小手返し。一言の第一印象に、引き込まれてはいけない。

 具体的に、挙げてみる。

 『摺り足』の一部であるが、足の指を使わない。母指球、小指球、踵点の『足裏三点』で立ち、動く。足の指は、地に着いているだけである。『摺り足』というが、足裏を横方向へ地に摺る必要はない。

 『手刀[てがたな]』は、小刀ではなく、腕を含んだ日本刀である。小指側が刃であるが、斬るという感覚では使わない。手刀は、『平皿』のようなものである。『手刀を反す』動作は、くるっと回転するのではなく、傾きと復元である。

 『軸』と言えば、背骨一本で回転が常識であるが、心臓の表面を通る二本で竹馬のように扱う。遠心力で、自分の手刀や相手を振り回すのではなく、むしろ渦に引き込む。

 『腰廻し』は、腰を一ヶ所に固定して回転させる動作、いわゆる腰を切ったり、腰を捻るのではない。コマのように、腰が空間を動き回る。これに関しては、今年の公開練習で稽古していく。

 『肘を反す』動作は、一般的には、相手の肘を90度ないし鋭角に曲げて、肘の横から攻めて、反対側を地に落とす。一見、これしかないように思えるが、正確に捌いても力技である。稽古では、前方回転受身で逃げているので、深く考えるにも及ばない。曲がるように曲げ、開くように開くことが、基本中の基本である。相手の肘は鈍角に曲がり、肘は地の方向。相手の腕が伸びるように開いて、最後にちゅるんと肘が反る。曲げる、開く際には、『レ点の返し』に従って、同じ場所に戻らない。

 『押し倒し』だから押す、『引き倒し』だから引くと区別していては、とっさの技に行き着かない。そこに相手の一部分を置くということが大切である。

 小手回しでは回さず、小手捻りでは捻らず、小手返しではひっくり返さない。関節を逆に取られて痛いから動くというのは、関節技に過ぎない。対処法としては間違ってはいないが、怪力相手、例えが悪いが熊には、無意味である。手刀で、相手を必然へと導く。相手が勝手に、地に伏したり、宙に飛んでいくように見えるはずである。

 力を出すという表現も、合っていないと思っている。力を出した瞬間、合気の術は終わっており、極めに移っている。力の差が歴然としている場合、ある程度正しいと思われる動作でも、相手は吹っ飛んでいく。これくらいは、力を入れても力技ではないだろうと、納得している。妥協を繰り返していては、常識の殻は見えるはずがない。楽しみは、その先にある。


P.S. 完璧主義ということではない。自分は、落としどころ大好き人間である。妥協または落としどころは、レベルまたは段階のようなものである。その段階にしばらく留まれば、飽き足らず、次の段階を探そうとするであろう。


P.S.2 小手返しは、別名の『小葉返し』と呼んだ方が、技の本質にしっくりくる。風に吹かれて、ヒラヒラヒューである。


P.S.3 当道場では、練習生に求められなければ、関節技の稽古を行っていない。逆に言えば、求められれば徹底的にやるので、嫌われている。自分自身、学生時代に手首を疲労骨折した経緯もあり、どのような練習方法であっても、生活に支障を来すと判断している。また、関節技を知らない人に誇示しやすく、合気道を修得して強くなったと勘違いに陥る。まあ、痛いのが嫌な臆病者と思っていただいて結構。
 
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