ガレコレ [Garage Collection]
2016年11月14日(月)
手刀と入身・転体 #■合気道
 実戦において、手刀で、相手の攻撃を払い除けたり、相手に打ち込んだりしても、何ら間違いではない。しかし、それらの効果を得るには、結構な腕力もいる。合気道では、腕力を必要とせずに相手を制するには、手刀をどう使えば良いかということを稽古している。払いや打ちが必要と思えば、別途、個人的に練習することは全く構わない。

 合気道において、手刀は、相手と自分を繋げる道具と考えるのが妥当であろう。手刀と相手が、体の深部、2点以上でねちょっとくっ付いているイメージである。体の表層部であったり、接点が1つでは、触れが解かれて、剥がれてしまう。

 手刀が相手とくっ付いたからといって、次の動作で、手刀で引っ掛けたり、引っ張ったり、押し込んだりするのは下手である。せっかくのくっ付きが台無しになってしまう。手刀は、最後までくっ付きに専念することが肝心である。

 そもそも、手刀だけで、相手を最後までどうにかするのは難しい。相手を動かすのは、入身・転体である。入身・転体の動きを、手刀を通じて、相手に伝える。

 手刀は軽い力で小刻みに、入身は慣性力で緩やかに、転体は軸の切り替えで瞬時に動く。

 手刀の向きは、薬指の第二関節元の腹と親指先端部の腹で決まるが、便宜上指先と表現する。手刀は、レ点の返しにより、小刻みに動くことになる。手刀の向きと入身の向きが一致しないところに、騙しの味噌がある。

 『上下相随』とは、上下の向きや動きが一致することではなく、上下の動きが調和していることを意味する。水泳で例えるならば、腕が1ストロークの間に、脚が1キック、2キック、6キックの泳法がある。必ずしも、腕と脚が1対1ということではない。音楽で例えるならば、ドラムスが分かりやすいだろう。

 手刀の『レ点の返し』は、手刀の反しに関する当道場の造語である。レの形が示すように、入射角0度で入り、反射角が鋭角と変化し、通常の反射ではないことと、同じところに戻らない意味を込めている。

 体捌きの『袈裟斬り』を例に挙げると、自分の後方において手の平で掬い、自分の前方に出す際に腕を振り回し手首を回すのは、相手との繋がりを無視した動作であり、完全に間違っている。手刀は、自分の後方に手の平を向けて流し、小手先が蕾に戻って反射点となり、続いて自分の前方に手の甲を向けて進む。

 『円の体捌き』という言葉に惑わされてはいけない。運足や流気図なる円を真似ても、本質を修得することは極めて難しい。書道で例えるならば、先生の筆跡を跡撫ぜしても、躍動感が生まれないのと同じである。筆の持ち方、筆先の入り方、筆運び、止めや跳ね、そして伝えたいイメージ、一つ一つを磨かなければならない。手刀、入身、転体のそれぞれの軌跡は極めて直線に近い。それぞれの動きが統合されて、相手に伝わったときに、相手が直線ではなく円で倒されたと感じると解釈したい。

 相手に触れずして、つまり手刀を触媒に使わずに投げる高等技術がある。共有空間の密度の変化によって可能となる。まあ、まずは、そんな名人技をすぐには望まず、手刀で相手に触れてお互いに何を感じているか探りながら、合気柔術を意識して、地道に稽古されたし。
 
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